年利がとんでもない時代!

2019-01-25 14:54:00

●金融の歴史をひも解くと、金融のそもそもの発祥はノンバンクだった

江戸時代以前も当然のことながら、金を貸し付けるビジネスや習慣はあったとされ、特に資金量が豊富な仏教寺院などが貸し手になっていたという。だが、庶民の間ではどれほど活発だったのかはよく分かっていない。
鎌倉時代、室町時代には、幕府によって頻繁に「徳政令」が発布され、借金の棒引きが行われていた実態がある。鎌倉時代には山僧や借上が貸し手となって武士や庶民に対する金融業を行っていたという。また室町時代は土倉や酒蔵が貸し手であった。こうした貸し手からの借金に苦しんだ人たちがたびたび一揆を起こして為政者に借金帳消しを迫ったことから、幕府は「徳政令」を出して庶民の不満を吸い上げていたという。
もちろん江戸時代にも、さまざまな金貸しの実態があった。両替商、質屋、素金、日銭貸、烏金などさまざまな名称でいわれるが、どれも金貸し業であり、両替商は年利2割、質屋は年利48%といわれる。庶民が当日、翌日返しなどに使った日銭、烏金などは100文借りて1日1文などということなので、年利に換算すると300%から1000%という高金利が取られていたが、短期の返済であれば利子も少なくて済むので、利用者も多かったという。

●ノンバンクは経済に不可欠
やがて、預金を集めるバンクが出現し、バンクとノンバンク、それぞれ役割の異なる両者が相互補完するようになった。バンクは預金者保護などの公共性が求められることから当局の監督を受け、自己資本比率規制などのルールが課せられる一方、もともと庶民の細かな資金ニーズやリスクの高い融資に応える体制にはない。このあたりにノンバンクとの守備範囲の相違がある。
 
銀行は預金者を守らなければならないことから、担保をとって事業者に融資することはできるが、事業者の急な資金繰りのニーズに対し、リスクを取って無担保で融資することはなかなかできない。消費者に対しても、住宅ローンや学資ローンなどは別として、小口で手間隙がかかり、かつリスクの高い貸し付けを無担保・無保証でわざわざ貸すこともない。しかしながら、経済、社会には必ずそうしたバンクでは対応できない資金ニーズが存在する。バンクがあろうとなかろうと、日本の経済・社会全体にとってノンバンクは不可欠な存在なのだ。
現在の消費者金融の多くは1960年台、東京オリンピック前後の高度成長時代とともに出現したといわれる。小口の貸金業が、後に「サラリーマン金融」、いわゆる「サラ金」と呼ばれるものに発展していった。経済低迷もあって、多くの借り手が生み出され、それにともなって問題のある貸し借りや、高金利で貸す業者の出現など、「サラ金地獄」という言葉も生まれるような状況になった。
 
このため、業界はイメージを一新すべく名称を「消費者金融」と改めるとともに、100%を超えていた金利を何度かの改正で50%近くまで下げた。その後、犬や女性ダンサーなどを駆使したテレビCMに代表されるソフト戦略と簡便な利用を促進するATM戦略を打ち出し、再び貸し出しが大きく伸びることになった。
ところが、こうした戦略によって再び利用者が急増した2000年に入ると、不況などの影響もあって派遣やフリーターが増加し、返済能力を超える借り入れをしてしまう多重債務者や自己破産者が増加、その一方で長者番付にオーナーが名を連ねる消費者金融業界に対して再度社会の厳しい視線が集中し、前述した改正貸金業法の議論につながっていった。